Friday 16 June 2023

小説 蜜蜂と遠雷

恩田陸 著 2016年 幻冬舎

順列組合せ フィボナッチ数列

亡くなった伝説的な音楽家の推薦状を引っ提げて,すい星のごとく現れた養蜂家の息子,風間塵(かざまじん)を含む3名の才能ある若いピアニストたちが,1~3次予選と本選まで長期間開催される権威あるコンクールを通して各自が成長していくという話で,直木賞と本屋大賞の両方を受賞した作品です.

P14
順列組み合わせのようにバッハ、モーツァルト、 ショパン、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、 と聴いているうちに、再び気が遠くなっていく。 そもそも、上手な子、何か光る子というのは弾き始めた瞬間にもう分かってしまう。
有名な作曲家の曲が次々に演奏されていくので,その様子を「順列組み合わせのように」と表しているようです.同じ作曲家の曲が繰り返し登場することもあるので,高校数学の教科書でいうと「同じものを含む順列」ということになります.この6回のうちバッハとモーツァルトが2回,ショパンとベートーヴェンが1回出てくるので,順番を並べ替える方法は全部で$\frac{6!}{2!2!}=180$通りありますが,普通こんな計算,わざわざしませんよね(笑).
P312
少年はひょいと立ち上がり、ひょこひょことこちらに向かって駆けてきた。
「巻貝見つけた。 フィボナッチ数列だね」
にこにこしながら、手に持った小さな巻貝を見せる。
「あっはは、フィボナッチ数列とは。さすが天才」
P506
反射的にかがみこみ、その貝を拾い上げる。 宝石のような、完璧な造形の、小さな巻貝。
人差し指と親指のあいだに挟み、空に向かって掲げてみる。
「フィボナッチ数列だね」
そう呟き、彼はにっこりと笑った。 不意に、声を出して笑い出したくなる。
小説の中盤と最後に「巻貝」と「フィボナッチ数列」がセットで登場しました.なぜ巻貝を見たらフィボナッチ数列なのでしょうか.連想してみましょう.
巻貝 → 殻が螺旋状 → それは対数螺旋 → 対数螺旋の一種が黄金螺旋 → 1辺がフィボナッチ数である正方形を足していってできるのが黄金螺旋
 

フィボナッチ数列は
0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, ・・・・・・
と続く,前の2項の和が次の項になるという数列です.この値を一辺に持つ正方形をつないでいったものが上の左側の図になります.右側は巻貝と同じように対数螺旋を持つオウムガイの殻です.フィボナッチ数列の前後の項の比は黄金比 $1:\frac{1+\sqrt{5}}{2}$ に近づくので,左側の長方形の縦横の比は黄金比に近づきます.

ではなぜ貝殻は対数螺旋なのでしょうか.多くの貝類は一定の比率で拡大し,前後が相似形となるように成長していくそうです.つまり単位時間に現在の大きさの何倍かになるような成長をしていくというわけです.なので,時間を$t$とし,螺旋の中央から殻の端までの長さを$r$として,比例定数を$k$(>0)とすれば,次の微分方程式が成り立ちます(前回の「魔力の胎動」で登場した式と同じです).$$\frac{dr}{dt}=k r$$変数分離してこれを解くと$$\int\frac{1}{r}dr=k \int dt$$$$\ln r=k t +C_1$$$$r=Ce^{k t}$$となって,このグラフはデカルト方程式では$y$が増加していく指数関数 $y=Ce^{kx}$ になりますが,成長方向が円状なので極方程式で表せば,原点からの距離$r$が増加していく対数螺旋 $r=Ce^{k\theta}$ になります.
 

Thursday 1 June 2023

小説 魔力の胎動

東野圭吾 2018年 KADOKAWA

放射性同位体 半減期

物理現象を予測する力を持つ高校生の羽原円華(うはらまどか)が,その力を使って悩みを持つ人たちを元気にしていきます.映画にもなった既刊の『ラプラスの魔女』へとつながっていく前日譚といえる話ですが,『ラプラスの魔女』の3年後に発表されています.以下は大学教授の青江修介と助手の奥西哲子が試験問題を作成しているときの会話です.

第5章 魔力の胎動

青江「体重60キロの成人の体内合計カリウムが120グラムの時、その体内放射能を求めよ――これでどうだ?」  

奥西「少し簡単すぎませんか」 

青江「いいんだよ。 サービス問題だ。このあたりで点を取らせないと落第者が増える。ただでさえ環境分析化学は単位が取りにくいってことで人気がないのに」

奥西「但し書きはアボガドロ定数だけでいいですね」 

青江「カリウムの同位体存在度と半減期も付けてやってくれ」
奥西「そんなの、学生なら覚えてて当然じゃないですか」

環境分析化学の問題としては「簡単すぎ」だそうで,放射線取扱主任者試験でも基本問題のうちのひとつだそうです.しかし,こんな話を知らない人にとってはさっぱりわかりませんよね.小説に解答がなかったので解説してみます.有効数字は3桁で計算しましょう.以下の3つがこの問題の「但し書き」です(小説には書かれていません). 

①アボガドロ定数…物質1mol中の粒子(原子/分子など)の個数. 6.02×10^23 (mol-1).

②同位体存在度(比)…物質の中にある同位体の含有率.カリウムの同位体は24種類あるが,そのうち3種類が自然に常時存在しており,安定同位体「カリウム39」が 93.2581%,放射性同位体「カリウム40」が 0.0117%,安定同位体「カリウム41」が 6.7302%.

③半減期…放射性物質の量が半分になるのにかかる時間.カリウム40の半減期は $t_{1/2}$=12.5×10^8 (年)だが,これに 60秒×60分×24時間×365日 を掛けると  $t_{1/2}$=3.94×10^16 (秒).

まず「体重60kgの成人の体内合計カリウムが120グラム」とありますが,ヒトの体内のカリウムの量は体重の0.2%とわかっているので,60000 (g) ×0.002=120 (g) となっています.

解く前の予備知識です.放射能は,放射性同位元素が放射性崩壊によって別の元素に変化する能力を意味します.その能力とは何かというと,具体的には単位時間に放射性崩壊する原子の個数,すなわちその瞬間の原子数の減少速度(秒速何個の速さで減るか)(単位:ベクレル Bq)を意味します.

なのでこの問題を言い換えると「体重60kgの成人は120gのカリウムを持つが,その中の放射性同位体カリウム40の原子数の減少する速さは秒速何個か」ということになります.

原子量は,同位体の(相対質量×存在比)の和で,その物質 1mol は何gになるかを表します.よって但し書き②より,カリウムの原子量は,

$39×0.932581+40×0.000117+41×0.067302≒39.1$

となり,カリウムは1molあたりの質量が39.1gになるということがわかります.

さらに但し書き②より,カリウム120gの中のカリウム40の質量は

$120×0.000117≒0.0140 (g) $

なので,1molに対する割合は 0.0140÷39.1であり,アボガドロ定数とこれを掛けると,カリウム40 の 0.0140 (g) の原子数が分かります.$$6.02×10^{23}×0.0140÷39.1≒2.16×10^{20}$$これを t=0 のときの原子数 $N_0$ とします.

さて,t 秒後のカリウム40の原子数を$N$,これが単位時間に崩壊していく割合すなわち崩壊定数を $\lambda$ とすると,原子数が減っていく速さについて,次の微分方程式が成り立ちます.$$\frac{dN}{dt}=-\lambda N$$変数分離してこれを解くと

$$\int\frac{1}{N}dN=-\lambda \int dt$$

$$\ln N=-\lambda t +C_1$$

$$N=Ce^{-\lambda t}$$t=0 のとき $N=N_0$ なので $C=N_0$ となり,上の式は次のようになります.$$N=N_0 e^{-\lambda t}$$質量が半減したとき,すなわち $t=t_{1/2}$ のとき,$N=\frac{N_0}{2}$ なので,$$\frac{N_0}{2}=N_0 e^{-\lambda t_{1/2}}$$$$e^{\lambda t_{1/2}}=2$$$$\lambda t_{1/2}=\ln2$$$$\lambda=\frac{\ln2}{t_{1/2}}$$これに$\ln2=0.693$,但し書き③より $t_{1/2}=3.94×10^{16}$ を代入すると,$$\lambda=\frac{0.693}{3.94×10^{16}}≒1.76\times10^{-17}$$よって,原子数が$N_0$の瞬間に減っていく原子数は,$$\lambda N_0=1.76\times10^{-17}\times2.16×10^{20}≒3.80 \times10^3$$以上より,カリウム120gの放射能は約3800(ベクレル Bq),すなわちカリウム120gは秒速約3800個の速さで原子数が減少することが分かりました.

これを約4000Bq とするサイトがいくつかあり,その理由を調べてみると,以下の文章が見つかりました.

カリウム40 の天然存在比は 0.0117%、半減期は 1.277×10^9年(約13億年)であるので、アボガドロ数を 6.02×10^23 、1年を3.15×10^7 秒として計算すると、日本人の標準的な体重 60kg 中の値は 3640 Bq となる。体内中のカリウムの含有量の不確かさを考慮すれば、有効数字は1桁として、単に 4000 Bq と表記するのが適当と思われる。(「人体中の放射能による内部被爆について」東京大学大学院総合文化研究科 鳥井寿夫)

[Reference]

カリウム,放射性物質,放射性崩壊,原子量,放射能,アボガドロ定数,同位体存在度(比),半減期
Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0

放射能を求める式
https://radioisotope-f.hatenablog.com/entry/65649695

人体中の放射能による内部被爆について
http://atom.c.u-tokyo.ac.jp/torii/radioactivity_of_the_human_body.pdf