Saturday 18 August 2018

小説 夜中に犬に起こった奇妙な事件

2003年 マーク・ハッドン著

素数 モンティ・ホール問題 ロジスティック写像

近所の犬が殺された事件の解明をしようとする,自閉的傾向のある少年クリストファーの視点で語られる小説です.物語の流れとは関係なく数学や理科の話が唐突に出てきます.

モンティ・ホール問題

1990年代に米国で大きな議論になった問題です.
あなたがテレビのゲーム番組に出るとする.このゲーム番組の目的は,賞品の車をあてることだ.ゲーム番組の司会者はあなたに3つの扉を見せる.この3つの扉のうちの1つのうしろに車があり、残りの2つの扉のうしろにはヤギがいるという.司会者はまず1つの扉を選ぶようにという.あなたは扉を1つ選ぶけれど,それは開けてもらえない.それから司会者はあなたが選ばなかった扉の1つを開けてヤギを見せる(なぜなら司会者はその扉のうしろになにがあるか知っている).それから司会者は、あなたが残りの扉を開けて車かヤギのどちらかを手に入れる前に1度だけ考えを変えてもいいという.そこで司会者はあなたに,考えを変えてもう1つの開けていない扉を選ぶかどうかたずねる.あなたはどうすべきか? 
3つの扉をそれぞれX, Y, Zと呼ぶこととする.CXを扉Yのうしろに車がある事象とし, CY, CZも同様とする.HXを司会者が扉Xを開ける事象とし,HY, HZも同様とする.あなたが扉Xを選んだと仮定すると,考えを変えてちがう扉を選んだときに車が当たる確率は以下の式によって求められる.
P(HZ∩CY)+P(HY∩CZ)
=P(CY)P(HZ|CY)+P(CZ)P(HY|CZ)
=(1/3×1)+(1/3×1)
=2/3
従って,考えを変えてちがう扉を選んだ方が車の当たる確率が高いということになります.これはもともとモンティ・ホールという人が司会をしていたTV番組の中のゲームですが,今は高校の数学の教科書の「条件付き確率」のところで紹介されています.当時は当たる確率が直観的な1/2なのか,正しい2/3なのかで大きな議論になりました.上の文字式の意味は次のようになります.

(あなたが最初に扉Xを選んだあと)「扉Yのうしろに車があって司会者が扉Zを開ける確率」+「扉Zのうしろに車があって司会者が扉Yを開ける確率」

ロジスティック写像

この名前を出さずにいきなり以下の式が「謎ではない謎の例」として登場します.
ここに生き物の数の公式がある.
Nnew=λNold(1-Nold)
Nnewはある年の個体密度を表し,Noldは前年のそれを表す.λはある定数である.
λが1より小さいならば,個体数はだんだん減って絶滅に至る.λが1と3のあいだであれば,個体数は増え,定常状態になる.そしてλが3と3.57のあいだの場合は,個体数は周期的に変動するようになる.しかし,λが3.57より大きいときはカオスになる.
生物の個体数の推移を表すロジスティック方程式という微分方程式$$\frac{dN}{dt}=\frac{r}{K} (K-N)N$$があり,これを普通に解くとロジスティック関数が得られますが,小説に登場した式を得るには,この左辺の微分係数を差分商$\varDelta N/\varDelta t$に置き換えて次のように変形します.$$\frac{N_{n+1}-N_n}{\varDelta t}=\frac{r}{K} (K-N_n)N_n$$$$N_{n+1}=N_n+r\varDelta t N_n-\frac{r\varDelta t}{K} N_n^2$$$$N_{n+1}=\{ (1+r\varDelta t)-\frac{r\varDelta t}{K} N_n \} N_n$$この両辺に$\frac{r\varDelta t}{K(1+r\varDelta t)}$を掛けて,$$\frac{r\varDelta t}{K(1+r\varDelta t)}N_{n+1}=\{ (1+r\varDelta t)-\frac{r\varDelta t}{K} N_n \} \frac{r\varDelta t}{K(1+r\varDelta t)}N_n$$$$\frac{r\varDelta t}{K(1+r\varDelta t)}N_{n+1}=(1+r\varDelta t)\{ 1-\frac{r\varDelta t}{K(1+r\varDelta t)} N_n \} \frac{r\varDelta t}{K(1+r\varDelta t)}N_n$$ここで$\frac{r\varDelta t}{K(1+r\varDelta t)}N_n=x_n$,$1+r\varDelta t=a$とおけば,$$x_{n+1}=a(1-x_n)x_n$$この漸化式はロジスティック写像と呼ばれています.$x_n$はある時刻の個体数の割合,$x_{n+1}$はその次の時刻の個体数の割合です.生物によって$a$の値が異なり,様々な個体数推移パターン(絶滅,定常状態,周期的変動,カオス)があります.

ロジスティック写像は$x_n$の2次関数になっていて,頂点は$(\frac{1}{2}, \ \frac{a}{4})$となるので,[0,1]から[0,1]への写像にするため,0≦$\frac{a}{4}$≦1,すなわち0≦$a$≦4になります.上のλ=($a$=)3.57という値はある数列の極限値ですが,これより大きい値の生物の個体数の推移はカオスになるという境界(ファイゲンバウム点)になっています.

[Reference]

カオスとフラクタル
山口昌哉著 1986年 ブルーバックス

ロジスティック写像
https://sites.google.com/site/cinderellajapan/cinderellade-kaosu/rojisutikkushazou

Sunday 5 August 2018

小説 クラインの壺

2005年 岡嶋二人著 講談社文庫

クラインの壺 メビウスの輪 トポロジー 位相幾何学

究極のバーチャルリアリティの世界で,現実と仮想の見分けがつかなくなり,不思議なことが次々と起こるというSF小説です.この世界がまるで内側と外側の区別がつかない図形であるクラインの壺のようなので,このタイトルがつけられています.位相幾何学(トポロジー)に登場する図形,メビウスの輪とクラインの壺について,かなり詳しい説明がありました.
真壁七美「メビウスの輪って知ってるでしょう?」
上杉彰彦「……途中がいっぺんねじってある輪っかのことだろ?」
真壁七美「うん。クラインの壺は、メビウスの輪を四次元にしたものなのよ」
(中略)
真壁七美「メビウスの輪には、表も裏もないわけ。表だと思っているところは裏でもあるわけだし、裏だと思ってるところは、実は表なのよね。クラインの壺は、それを立体にしたものなの。」
以上の部分を含めて5ページに渡り,メビウスの輪とクラインの壺について,少し重複はあるものの,かなり詳しく説明されていました.短くまとめると以下のような感じでしょうか.
メビウスの輪は,細長い紙をねじり合わせるとできる.その上を歩いている人は,表を歩いているつもりなのにいつの間にか裏を歩いている.クラインの壺は,細長い紙ではなくパイプ(細長い管)を想像する.その端と端をくっつけるとドーナツができるが,クラインの壺はそのパイプを一度四次元の方向にひっくり返してくっつけるから,内側で歩いている人がいつの間にか外側で歩いていることになる.
メビウスの輪とクラインの壺
上のような図はありませんでしたが,とても分かり易く解説してあったので感心しました.ここまで詳しく数学用語を解説している小説にはこれまで出会った記憶がありません.上のクラインの壺の図は管が交差しているように見えますが,「四次元の方向にひっくり返して」あるので,実際は交差していません(あまり難しく考えないでください).

位相幾何学(トポロジー)は,伸び縮みする図形を考える幾何学です.円と三角形や四角形のなどの多角形は同じとみなすとか,ドーナツとコーヒーカップは1つ穴の開いた立体として同じとみなすというような例がよく紹介されています.ところが,面白そうと思って位相幾何学の入門書を読み始めると,前置きが長いうえ,「何これ?」と思うぐらい難しくなるので読み進むのが大変です.

いつもは登場した数式や数学用語の解説をしていますが,ここでは逆に小説で解説された話を数学的に表現してみます.

[メビウスの輪]
単位閉区間$I=[0,1]$の直積である正方形$I×I=[0,1]×[0,1] $の1組の対辺を逆向きで同一視する同値関係~でできた商空間$I×I/\sim$.

[クラインの壷]
単位円(1次元単位球面)$S^1=\{(x, y) \ | \ x^2+y^2=1\}$と単位閉区間$I$の直積である円柱$S^1×I$の両端の円を同じ向きで同一視する同値関係~でできた商空間$S^1×I/\sim$.

メビウスの輪は,直感的には正方形の対辺を逆向きに張りあわせたものになります.同じ向きに張りあわせたものは,平面上なら2つの同心円によって囲まれた部分,すなわちアニュラス(円環)となり,空間内なら円柱側面になります.クラインの壷は、直感的には円柱の端の円を同じ向きに張りあわせたものになります.逆向きに張りあわせたものはトーラス(ドーナツ型)になります.

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[付録]
いくつかのトポロジー用語の解説を試みてみました.

同相
集合AとBを同じとみなす(=同相)とは,AとBの間で同相写像が存在する,すなわち「1対1かつ上への両連続な写像が存在する」ことをいうのですが,直感的には伸び縮みさせて同じ形になれば同相です.

単位球面
n次元単位球面$S^n$(n+1次元単位球の表面)とは,例えば,0次元単位球面$S^0$は$R$(1次元実数直線)上の2点{1,-1}(原点からの距離が1である2点),1次元単位球面$S^1$は$R^2$(2次元平面)上の$x^2+y^2=1$(原点からの距離が1の円周),2次元単位球面$S^2$は$R^3$(3次元空間)内の$x^2+y^2+z^2=1$(原点からの距離が1の球面)を意味します.

商空間
集合を同じ条件を満たすもので分類して得られる集合を商集合(距離とか位相とか定義されていれば商空間)といいます.例えば整数全体Zを2で割り切れるかどうかで分類すると奇数と偶数に分類されます.この商集合(商空間)はZ/2Zと表されます.これを仮に$\{ \overline{ 0 }, \overline{ 1 } \}$と表せば,偶数を$\overline{ 0 }$,奇数を$\overline{ 1 }$と同一視したことになります.このことを点の集合である図形でも同様に考えることができます.

商空間と単位球面
単位正方形$I×I= [0,1] × [0,1]$の境界上の点を全て同じとみなす同値関係~でできた商空間$I×I/\sim$は,正方形の境界が浮き上がり,開いていた口が閉じるような感じになるので,2次元単位球面$S^2$(3次元空間内の球面)と同相になります.

商空間$R/Z$と単位球面
実数/整数という商空間$R/Z$は,2つの実数の差が整数になるとき,2数を同一視します.すなわち,1.2も2.2も-0.8も-1.8もすべて[0.2+z](z∈Z)の元として同じとみなします.$R/Z$の元は$[x]=\{ x+z \ | \ 0≦x<1, \ z∈Z \}$と表せるので, $[x]$は区間 [0,1)上の1点と同一視できます.0と1は差が整数だからこれらも同一視できるので,R/Zは1次元単位球面$S^1$(2次元平面上の円周)と同相になります.

[参考]
トポロジー
田村一郎著 岩波全書