2024年12月27日金曜日

小説 成瀬は信じた道をいく

宮島未奈 2024年 新潮社

線形代数学 ケイリー・ハミルトンの定理

「成瀬は天下を取りにいく」の続編です.「大きい数を見ると素因数分解したくなる」主人公の成瀬あかりが大学生になって勉強の大切さを語ります.
「そもそも今は大学生なのだから、勉強に打ち込んだらいいのではないか?  わたしは最近、線形代数学の授業でケイリー・ハミルトンの定理を習って感銘を受けた」
成瀬が華麗な正論を打ち返してきた。
P137

参拝を済ませたあとはのんびり歩いて湖岸に出た。冷たく張り詰めた空気の下、青い湖面が光っている。今年もいい年になりそうだ。
「2026は2×1013だな」
「1013って素数なんだ」
P199
線形代数学は,大学の教養科目として必修のところが多いですね.基本としては行列,ベクトルを扱いますが,発展して線形空間の話になると難しくなってきます.過去には高校数学に行列があったりなかったりしたので,なかった時代に高校生だった人は行列を知らない人が多いことと思います.

「習って感銘を受けた」とありますが,京大ぐらいのレベルだと「習って」ではなく,「(自分で)学んで感銘を受けた」のではないでしょうか.私もテーラーの定理を初めて知ったときに感銘を受けたのを思い出しました.

さて,ケイリー・ハミルトンの定理は,「正方行列$A$の固有多項式 $\mathrm{ det }(A-\lambda I)$ の$\lambda$を$A$に変えた式は零行列になる」という定理なんですが,この表現ではちょっと難しいので,最も簡単な2行2列の行列$A=\begin{pmatrix} a & b \\ c & d \end{pmatrix}$を用いて言い換えると,次の式が成り立つことと同じ意味になります.

$A^2-(a+d)A+(ad-bc)I=O \tag{1}$

$I$は単位行列$\begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix}$,$O$は零行列$\begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 0 & 0 \end{pmatrix}$

例えば,$A=\begin{pmatrix} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{pmatrix}$として計算すると,確かに式 (1) が成り立つことが分かります.$$A^2-5A-2I=\begin{pmatrix} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{pmatrix} ^{2}-5\begin{pmatrix} 1 & 2 \\ 3 & 4 \end{pmatrix}-2\begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix}=\begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 0 & 0 \end{pmatrix}=O$$$$A^2-5A-2I=O \tag{1'}$$これがわかると何がいいのかというと,$$A^2=5A+2I$$となるので,$A^2$をまともに掛け算せずに足し算で求められ,次数を下げることができるので,そこからさらに$A^3$, $A^4$…と楽に計算できるからです.

では$A^n$の計算ができると何がいいのかというと,例えばn元連立一次方程式を解くことや,ある現象が1年後に$A$を掛けた状態になるときにn年後の状態を求めることができるからです.行列のn乗をまともにn回掛けずに求める方法は他にもいくつかありますが,それが線形代学の基本といってもいいかも知れません.

[参考]

2024年12月1日日曜日

小説 JK Ⅱ

松岡圭祐 2022年 KADOKAWA

数学 物理 運動エネルギー

K-POPダンスのユーチューバー江崎瑛里華こと有坂紗奈が,悪行三昧のヤクザたちに容赦なく復讐をしていくという話です.

紗奈は満身の力をこめ、ブラックジャックを廣畠の前で振った。数学と物理はもともと得意だった。時速約百七十キロのヘッドスピードで振ることで、靴下の先端の穴から飛びだす小銭は、二百ジュール前後のエネルギーを有する。すなわち拳銃の弾丸に匹敵する威力と化す。

小銭は一瞬にして散弾のように、廣畠の全身に深々と刺さった。うち数枚は額と首筋を貫いていた。唖然とした面持ちの廣畠は、目を剥いたまま後方に倒れていき、仰向けに横たわった。
ブラックジャックは武器の一種で,靴下のような円筒形の革や布の袋に小銭や砂などを詰めて殴打するために使うものです.外傷が目立ちにくく,打撃音が小さく,事後処理も容易なので,推理小説でよく凶器に使われているそうです.

この場合は小銭が「靴下の先端の穴から飛びだ」しているので,殴打したのではなく,振ることで小銭を弾丸のように飛ばしているようです.はじめに穴が空いていたら回転と同時に中身が飛び出してしまうはずですから,強く回転させて高速で飛ばすことや,さらに標的に命中させることなど至難の業ではないでしょうか.

「数学と物理はもともと得意だった」ので時速170キロとエネルギー200ジュールという値がすぐに出たのでしょうか.数学というより物理の話ですね.検証してみましょう.

運動する物体の質量を$m$ [kg],速度を$v$ [m/s]とすると,その運動エネルギー$K$ [J] は次式 $(1)$ になります.つまり,この速さでこのエネルギーを出すにはある重量が必要ということになります.$$K=\frac{1}{2}mv^2 \tag{1}$$ここで両辺の単位の確認です.左辺の $K$ の単位の J(ジュール)は J=N・m で,N(ニュートン)は kg・m/sなので,J=N・m=kg・m2/sになります.一方,右辺は kg と (m/s)を掛けて kg・m2/sになります.確かに左辺と右辺の単位は一致していますね.

では計算してみましょう.まず$v$を時速 [km/h] から秒速 [m/s] に変換します.$$v=\frac{170 \times 1000}{60 \times 60}=\frac{425}{9}$$$v=\frac{425}{9}$ [m/s],$K=200$ [J] を式 $(1)$ に代入して質量$m$を求めてみましょう.$$200=\frac{1}{2}m \left( \frac{425}{9} \right)^2$$これを解くと次の値になります.$$m=\frac{200\times2\times9^2}{425^2}=\frac{1296}{7225}=0.179377\cdot\cdot\cdot$$すなわち質量は約180gということになります.これは,1枚1gの1円玉なら180枚,1枚4.5gの10円玉なら40枚,1枚4gの50円玉なら45枚,1枚4.8gの100円玉なら37.5枚,1枚7gの500円玉なら25.7枚になります.咄嗟にこの武器を作ったとして,こんなに多くの小銭を日常持ち歩いていたとは思えませんね.因みに,適当に小銭180gを測ってみたらこれぐらいでした(笑).