対偶
高校に入学した折木奉太郎は,同級生の里志,える,摩耶花と古典部に入部.その33年前の文集「氷菓」に秘められた真実を解き明かそうという話です.
○事件では暴力は振るわれなかった○事件は全学に影響するものであった○事件の最中、「我々」は団結した○事件では非暴力不服従が貫かれた(里志)「最初と最後は対偶関係ってわけじゃないけど、(奉太郎) そうか……な?まあ同じことだろうね。で、事件で暴力が振るわれなかったんだから、摩耶花の説は軌道修正。中の二つも、 ほとんど同じことかな。『我々』 ってのが全学のことを指すのかどうか字義的には疑問の余地がある けど、これはどっちでも関係のないことって言えるかもしれない」 (文庫 P162)
「PならばQ」という命題に対して,「QならばP」を「逆」,「PでないならQでない」を「裏」,「QでないならPでない」を「対偶」といいますが,ここでの話は対偶とはいえないですね.ただ暴力が振るわれなかったことを「非暴力」と言い変えただけになっています.
「神戸市民(P)なら兵庫県民(Q)である」という命題は真(常に正しい)ですが,その対偶「兵庫県民でない(¬Q)なら神戸市民でない(¬P)」も真になります.なぜかというと,「PならばQ」が真なら包含関係は図のようにPがQの部分集合になり,すると¯Q(Qの外側)も¯P(Pの外側)の部分集合になって,「¬Qならば¬P」がいえるからです.
例えば命題
「n2が偶数ならばnは偶数である」 (1)
は,直接証明するのは難しいですが,この対偶
「nが奇数ならばn2は奇数である」
は,n=2k+1とおくとn2=2(2k2+2k)+1となることから真であることが容易に分かります.
間接証明には他に背理法,同一法,転換法などがありますが,このうち背理法は,√2が無理数であることの証明法として有名ですね.この証明の途中に,対偶を証明することで得られた命題 (1) が使われています.
高校教科書に載っている,√2が無理数であることの証明を思い出してみましょう.
√2が有理数であると仮定すると,√2はある互いに素な正の整数a, bを用いて√2=abと表せる.このときa=√2b両辺を2乗するとa2=2b2よって,a2は偶数とわかるから,(1)より aも偶数である.偶数aはある正の整数cを用いて,a=2cと表されるから,(2)に代入して4c2=2b22c2=b2よって,b2は偶数とわかるから,(1)より bも偶数となる.このようにaとbがともに偶数となることは互いに素であることに矛盾する.したがって, √2は無理数である.(証明終わり)
因みに,古代ギリシャでは,a, bを「互いに素」とせずに無限降下法で証明していたようです.上の証明で,「互いに素」と仮定しないとすれば,「よって,b2は偶数とわかるから,(1)より bも偶数となる」の続きは,
偶数bはある正の整数dを用いて,b=2dと表されるから,(3)に代入して2c2=4d2c2=2d2よって,c2は偶数とわかるから,(1)より cも偶数となる.これを繰り返すと,a>b>c>d, ......となって,無限に小さくなっていくが,正の整数は無限に小さくならないので矛盾する(無限降下法).したがって, √2は無理数である.(証明終わり)
[Reference]
Proof by infinite descent