2026年7月3日

小説 PRIZE

村山由佳 2025年 文藝春秋

パラドックス

ベストセラーを多く生み出したのに、何度も候補にあがりながら直木賞がとれない作家天羽(あもう)カインが執念を燃やして受賞を目指そうとする話です. 作品の中に主人公の書いた作品があり, 「テセウスの船」 というパラドックスを紹介しています.

「テセウスの船」と呼ばれる有名な思考実験がある。 

 古代ギリシャの英雄テセウスがクレタ島から帰還した時、船には三十本の櫂があった。誉れ高き船は、後の世まで長く保存されることとなった。しかし木材は朽ちる。人々は櫂を一本また一本と新しいものへ取り換えてゆき、傷んだ船体を補修していった。

 そしてここに哲学者らの議論が巻き起こる。ある者は「もはやこの船は元の船とは別ものだ」 と言い、またある者は「いいや、ずっと同じ船である」と主張したのだ。

 最終的にすべての部品が置き換えられたとして、その船は今も同じ船だと言えるのか。あるいは取り換えた古い部品を集めてもうひとつの船を組み立てた場合、いったいどちらを「テセウスの船」と呼ぶべきなのか。要するに、同一性の問題をめぐるパラドックスだ。

パラドックスは,逆理とか逆説とか訳されるギリシャ語で,「正しいような間違ったこと」,「間違いのような正しいこと」, 「正しいか間違いか判断できないこと」などを表す理論です.

「テセウスの船」  は哲学の分野で有名だそうですが,このように元の形は変わらずに構成要素が総入れ替えになったものは他にもありますね.例えば,柄を変えたあとに刃も変えた短刀とか,メンバーが総入れ替えになったグループとか.これは 「正しいか間違いか判断できない」 パラドックスといえます.

パラドックスという概念は,哲学だけでなく,数学や他の分野でも多数登場しています.数学で有名なものでは 「アキレスと亀」 という話があります.足の速いアキレスが前を行く亀を追い越そうと歩いている.ある時刻に亀がいた地点までアキレスが行くと,亀はそこからいくらか前に進んでいる.その後アキレスがその地点に着いたとき,亀はさらにいくらか前へ進んでいる.これを何回繰り返してもいつまでたってもアキレスは亀を追い越せないという理論です.実際はすぐに追い越せますから,「正しいような間違ったこと」を表すパラドックスになります.

Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE より

実際に追いつく地点を計算してみましょう.仮にアキレスの速度が秒速1mで亀の2倍だとします.上図でOA=1mとすると,AB=$\frac{1}{2}$m, BC=$\frac{1}{4}$m, …となり,無限回加えると初項1,公比$\frac{1}{2}$の無限等比級数の和になるので,$$1+\frac{1}{2}+\frac{1}{4}+\cdots =\frac{1}{1-\frac{1}{2}}=2$$すなわち,Oから出発して2秒後に2m先で追い越します.無限回どころかあっという間ですよね.

ではこの考えのどこがおかしいのでしょう.それは,一定の時間を無限に分けているのに無限の時間がかかると主張しているからです (空白部分をドラッグしてください).

清水義範の短編集 「アキレスと亀」 (1989年 廣済堂) に,この話にまつわる男女の会話が描かれていて面白かったです.

[参考]

[世界のパラドックス一覧]  哲学・数学・物理・経済まで有名パラドックスを完全解説
https://senkohome.com/paradox-list/#google_vignette

オリジナルメンバー不在のバンドや音楽グループの一覧
https://ichiranya.com/music/030-original-member-absent-band.html