2025年3月17日月曜日

小説 22歳の扉

青羽悠 2024年 集英社

複素力学系 フラクタル カオス

京都の大学の理学部に入学した田辺朔(たなべさく)が,いくつかのサークルが集まる旧文学部棟の地下で営業している学内バーのマスターを引き継ぐことになり,そこでいろいろな人と出会って成長していく学生生活を描いた話です.

僕が読んでいたのは複素力学系、とくにフラクタル幾何学と呼ばれる分野のものだった。ある時間の状態が、前の時間の状態からシンプルなルールに沿って決まる。では、そのルールを何度も反復させると、やがてどんな状態に辿り着くのか。その疑問が出発点の学問だった。 
結果は多様で、まるで予測できない結果(=カオス)を生むことも、結果が同じ構造を繰り返す(=フラクタル)こともあった。 同じ構造を何度も繰り返す。再帰的。その振る舞いはどこか奇妙で、僕はそこに興味を向け続けることができた。理解するためには他の知識も必要だったから、僕には自然とやるべきことが増えた。

複素力学系とは何でしょう.上の文中の 「ある時間の状態が、前の時間の状態からシンプルなルールに沿って決まる」 というのは 「数列の漸化式 $x_{n+1}=f(x_n)$ または関数 $y=f(x)$ に値を代入して次の値が決まる」 ことを意味し,そのルールで変化していく物事を数式を使ってモデル化する数学の分野を力学系といい,その対象が複素数なら複素力学系となります.

複素力学系では 「そのルールを何度も反復させると、やがてどんな状態に辿り着くのか」 を複素平面上で調べます.ある複素数 $z_0$(初期値)を関数 $w=f(z)$ に代入し,得られた値をまた同式に代入して次の値を得るということを繰り返していくと,初期値 $z_0$ や $f(z)$ の違いによって,ある値に近づいていったり (収束),無限に遠くへ離れていったり (発散),「同じ構造を繰り返す (フラクタル)」 や,「まるで予測できない結果( カオス)」 の状態になったりすることがあります.

その例として有名なものが $f(z)=z^2+C$ という関数です.これで繰り返し得られた (発散しない) 値を複素平面上で点をとっていくと,フラクタル図形で有名なマンデルブロ集合($z_0=0$ と固定したときの $C$ の集合)や,ジュリア集合($C$ を固定したときの $z_0$ の集合)になります.

マンデルブロ集合(左)と $C=-0.5+0.6i$ のときのジュリア集合(右)
WolframAlphaで作成
フラクタル図形とは,どんなに拡大・縮小しても同じ形が現れる(自己相似性の)図形のことで,これを研究するのが文中に出てきた 「フラクタル幾何学」 であり,この主人公が読んでいた分野になります.2次元,3次元,4次元の世界などというあの 「次元」 が非整数になるのが特徴で,この話は小説 「神様のパラドックス に出てきました.

因みに,整数が対象なら離散力学系といいますが,その例として小説 「夜中に犬に起こった奇妙な事件」 に生物の個体数についての話が出てきました.さらに実数が対象なら連続力学系といいますが,これは小説 「禁忌の子」 に出てきた死後直腸温変化の話が当てはまりそうです

[参考]

カオスとフラクタル
山口昌哉著 1986年 ブルーバックス

複素力学系入門
https://azisava.sakura.ne.jp/math/complex_dynamics.html

2025年3月13日木曜日

小説 禁忌の子

山口未桜 2024年 東京創元社

死亡推定時刻

主人公の救急医武田航(わたる)に瓜二つの身元不明の遺体が運び込まれたため,その死因や自分との関係を旧友で医師の城崎響介と一緒に調査をしていくという話.鍵を握る人物に会おうとした矢先,相手が密室内で死体となって発見された場面です.

(鑑識の)宗形が「直腸温を測りましょうか」と言いながら温度計をカバンから取り出した。
宗形「34.8度ですね。大体の予想とも合致してると思います」
武田「つまり、どういうことや」
城崎「直腸温を用いた死亡推定時刻の推定、っていうのは直腸温が元の37度から、1時間に0.8度下がるだろう、っていう理論がもとになっているんだ。国試でもやったでしょ」
武田「とすると、大体3時間前…………12時半頃やな」
城崎「前後にしっかり幅を持たせて、死亡推定時刻は11時半から午後1時半の間、というところでどうでしょうか?」
宗形「おっしゃる通りです」

この計算では「1時間に0.8度下がるだろう、っていう理論」なので,体温は死後経過時間$t$の一次関数 $T=37-0.8t$ になっています.すると $T=34.8$ のとき $t=2.75$ になるので「大体3時間前」と予想しているわけです.

これがニュートンの冷却法則に従うなら,死後の体温$T$は室温との差に比例して室温に近づいていきます.この場合,死後経過時間を$t$とし,その時の体温を$T$,室温を25°と仮定し,比例定数を$k$とすると,次の微分方程式が成り立ちます.$$\frac{dT}{dt}=k(T-25)$$変数分離してこれを解くと$$\int\frac{1}{T-25}dT=k \int dt$$$$\ln (T-25)=k t +C_1$$$$T-25=e^{C_1}e^{k t}$$$$T=25+Ce^{k t}\tag{1}$$ここで $t=0$ のとき$T=37$ ですから,$37=25+C$より $C=12$ になり,最初の5時間で0.8×5=4度下がるとすれば,$t=5$ のとき,$T=37-4=33$ となるので,$$33=25+12e^{5k}$$$$e^{5k}=\frac{2}{3}$$$$k=\frac{\ln \left( \frac {2}{3} \right)}{5}=-0.081......$$よって式(1)はこうなります.$$T=25+12e^{-0.081t}$$このグラフは$T$が減少していく指数関数となり,下の赤いグラフになります. 青色のグラフは一次関数 $T=37-0.8t$ です.34.8°のとき,点Aは(2.50, 34.8),点Bは(2.75, 34.8)なので,誤差はまだ小さいですが,時間がたつに連れて大きくなるので,現実的ではありませんね.


さて,「法医学は考える: 事件の真相を求めて」(赤石 英 著 1967年),法医学」(若杉長英 著 金芳堂 1983年)などによると,直腸温降下曲線は下図のような逆S字型になるそうです.通常の直腸温は,腋で測るよりやや高く37.2°ぐらいなので,そこからこのように下がっていきます.
法医学」若杉長英著より
死亡直後では体内の熱産生が未だ完全に停止していないためその低下は緩徐であるが,次第に急激となり,外界温度に近づくに従って,再び緩徐となり,直腸内温度の下降曲線は逆S字状を呈する.(法医学」P13)
S字型のグラフといえばロジスティック関数が有名です.基本的なロジスティック関数はこの式になります.$$T=\frac{1}{1+e^{-t}}$$
これを,室温をやはり25°と仮定し,左右反転・拡大縮小・平行移動させるために,$$T=25+\frac{L}{1+e^{-k(t-p)}}$$という形にして,定数L, k, pを調節し,上の下降曲線を近似してみました.この場合,点Aは(3.85, 34.8),点Bは(3, 34.8)になります.$$T=25+\frac{13.5}{1+e^{0.33(t-6.8)}}$$

室温以外にも多くの条件によって違いが出て来ますが,これが事実に近い直腸温度変化だとしても,一次関数で近似して上の台詞のように「前後にしっかり幅を持たせて」(この場合は前後1時間の幅を考えて)推定すればそう問題はないのでしょうね.

[参考]

法医学
若杉長英 (著) 金芳堂 1983年

法医学は考える: 事件の真相を求めて
赤石 英 (著) 講談社現代新書 1967年

ロジスティック関数とは?
https://freshrimpsushi.github.io/jp/posts/1775/





2025年3月5日水曜日

漫画 はじめアルゴリズム 3巻 #21 数学少女・剛田ハチ

三原和人 2018年 講談社

極方程式 媒介変数表示

小学5年生の関口ハジメが天才的な数学の才能を持つことを,老数学者の内田豊に見いだされ,成長していくという話です.数学検定を受けたときにハジメから借りたコンパスをわざわざ家まで返しに来た剛田ハチへのお礼に,キーホルダーと同じ形のグラフを表す式をプレゼントする場面です.

ハジメ「これやってみて」
ハチ    「? グラフ問題 ……」
      「あ これ… 私のキーホルダーの…… すごい…」
ハジメ「コンパス持ってきてくれたお礼!」


3つの式がセットでひとつのグラフの方程式だと誤解しそうですが,1行目は極方程式で,2行目と3行目がセットで媒介変数表示なので,どちらか一方だけで同じグラフを表します.

極方程式は,動径がx軸となす角をθとするときの原点からの距離rをθの関数で表します.例えば,原点中心で半径1の円は原点からの距離rが常に1なので,デカルト方程式(xy方程式)では $x^2+y^2=1$,極方程式では r=1 になります.

上式の場合は,a=4なので r=sin4θ,すなわち原点からの距離rが sin4θ(周期$\frac{\pi}{2}$)になります.これは,θが0から2πまで増加(動径が1回転)する間に0→1→0→−1→0の間の値(花びら2枚分)を4回繰り返しますから,y=sinx と r=sinθ のグラフは次のようになります.

y=sin4x

r=sin4θ

Geogebraで作成したので,角度を変えながらゆっくり見たい人はこちらを見てください.

一方,媒介変数表示は,xy平面上の点の座標を他の変数の関数で表したものです.例えば,$x=t$, $y=t^2$なら,点$(t, t^2)$の軌跡になるので,$y=x^2$になります.上式の場合は,点 (sin4θcosθ,sin4θsinθ) の軌跡になり,上と同じグラフになります.

因みに,剛田ハチの持っていたキーホルダーはこれでした.