2026年7月23日

小説 本と鍵の季節


米澤穂信 2018年 集英社

微分方程式

高校2年生で図書当番をしている堀川次郎と松倉詩門が,いろいろな謎の解明に挑戦していく話を集めた短編集です.その中のひとつ,「金曜に彼は何をしたのか」 に彼らが未習のはずの微分方程式が登場しました.

    西日が真正面から目に飛び込んでくる。カーテンが開けてあるせいで、日光を遮るものがないの だ。黒板はすぐ右手にあり、チョークで微分方程式が走り書きしてあった。このドアは、教室の前の方のドアということになる。僕と松倉は、互いに目配せを交わし合う。(P183)

どんな式が書かれてあったのか気になりますね.残念ながらこの話にはその数式は出てきませんでした.微分方程式は以前,高校数学Ⅲでの学習内容でしたが,今 (2026年現在) では教科書の本文にはなく,<発展>の内容になっています.

微分方程式は,未知の関数の導関数を含む等式,言い換えれば $y'(=\frac{dy}{dx})$ や $y''(=\frac{d^2y}{dx^2})$ を含む等式のことで,それを満たす関数$y$を求めることを 「微分方程式を解く」 といいいます.例えば,$$y'=2x \tag{例1}$$という微分方程式の解は,$$y=\int 2x dx=x^2+C \quad (Cは任意の定数)$$ になります.つまり,不定積分を求めることは簡単な微分方程式を解くことと同意です.

微分方程式にはいろいろな型がありますが,その中でも最も易しい型が上の例を含む 「1階線形微分方程式」 になります.これは,世界で最も多くの国や地域の高校で採用されている国際バカロレア(IB)ディプロマプログラム(DP)の数学でも学習する内容ですので,例を少し見てみましょう.

次の形をしている微分方程式を1階線形微分方程式といいます.

$$\frac{dy}{dx}+P(x)y=Q(x)\tag{0}$$

この式の$P(x)=0$,$Q(x)=2x$とすれば上の(1)になります.

次にこの式の$P(x)=-2x$,$Q(x)=0$とすれば次の微分方程式になります.

$$\frac{dy}{dx}-2xy=0\tag{例2}$$

$$\frac{dy}{dx}=2xy$$

$$\int \frac{1}{y}dy=\int 2xdx$$

$$\ln {|y|}=x^2+C_1 \quad (C_1は任意の定数)$$

$$y=Ce^{x^2} \quad (Cは任意の定数)$$

となって,微分方程式 (例2) が解けました.このように,左辺に$y$の積分,右辺に$x$の積分に分けられる形を変数分離形といいます.

もう一つ,$P(x)$も$Q(x)$も0でない例を見てみましょう.

$$\frac{dy}{dx}+y=e^x\tag{例3}$$

$e^x$ を両辺に掛けると,

$$e^x\frac{dy}{dx}+e^xy=e^{2x}$$

$$\frac{d}{dx}(e^xy)=e^{2x}$$

$$e^xy=\int e^{2x}dx$$

$$e^xy=\frac{1}{2}e^{2x}+C \quad (Cは任意の定数)$$

$$y=\frac{1}{2}e^{x}+Ce^{-x}$$

(例3)の微分方程式を解くために両辺に掛けた$e^x$を積分因子といいます.なぜ$e^x$を掛けるのでしょう.その理由はこちらです.

[参考]

Oxford IB Diploma Programme: IB Mathematics: analysis and approaches, Higher Level



2026年7月10日

小説 ノーメイク鑑定士


石田夏穂 2026年 中央公論新社

スカラー ベクトル

4つの話からなる短編集のひとつ 「フットブレイク」 でスカラーとベクトルが登場しました.普段から裸足で過ごす女性社員の 「私」 が,コーヒーブレイクならぬフットブレイク (という休憩) で,パイプ椅子を使った足裏マッサージにハマっているという話です.青竹踏みも足つぼマットも足裏マッサージ店も気に入らず,自分でマッサージするのが最も良いと納得するところです.

 どうやら私は痛点が主体的に動かないと満足できないようだ。健康サンダルにまるで感動しなかったのも、要はイボが動かないからだ。
 静的な痛点はいらない、動的な痛点が欲しい。押すのではなく流す、スカラーではなくベクトル世には足裏マッサージの店もあるが、それは利用しようとは思わなかった。私は昔から人に身体を触られるのが苦手で、無性に落ち着かなくなる。学生のころの組体操やムカデ競争も苦手だった。
 そんな私にはセルフマッサージがお似合いのようだ.

スカラーは,向きを持たない数量 (数値) ,すなわち単なる数のことですが,考察する世界 (ベクトル空間) によっては実数であったり複素数であったりします.ベクトルは,速度や力のように向きと大きさで定まる量のことをいい,直感的には矢印で表されます.スカラーやベクトルの一般的な概念はテンソルといい,スカラーは0階テンソル,ベクトルは1階テンソル,行列は2階テンソルになります.

上の引用文からわかることを整理してみましょう.

静的な痛点=押す=スカラー

動的な痛点=流す=ベクトル

押すことは動かずに決まった方向に力を加えるだけだから静的で,流すことは流体中をある方向に移動させることだから動的だといっているのでしょう.また,言葉の持つイメージとして,スカラーは数値なので静的,ベクトルは矢印なので動的だといえるのでしょう.

さてベクトルの演算には,①ベクトル同士の加減,②スカラーとベクトルの積 (ベクトルのスカラー倍) ,③ベクトル同士の積 (内積と外積) があります.このうち,内積はベクトル・ベクトル=スカラーになりますが (高校数学教科書参照),外積はベクトル×ベクトル=ベクトルになります.$\vec{a}$と$\vec{b}$の外積 $\vec{a}×\vec{b}$ は,その大きさが $|\vec{a}×\vec{b}|=|\vec{a}||\vec{b}|\sin\theta$ で,$\vec{a}$が$\vec{b}$に向かって近づく回転で右ネジが進む方向を持つベクトルになります.

KIT数学ナビゲーションより

外積は3次元で定義されますが,2次元で利用される疑似外積というのがあります.2つのベクトル $\vec{a} = (a_1, a_2)$ と $\vec{b} = (b_1, b_2)$ に対し,$a_1 b_2 - a_2 b_1$ を疑似外積といい,この絶対値が2つのベクトルが作る平行四辺形の面積になるので,これを使うと3点を結ぶ三角形の面積が簡単に求められることが受験生にはよく知られています.

[参考]

KIT数学ナビゲーション
https://w3e.kanazawa-it.ac.jp/math/

[ベクトル]プログラミングでよー使うベクトル
https://note.com/alchan/n/n740dfc548638#7bb1b8ee-a905-40b9-84fe-35d27e9c53c9

2026年7月3日

小説 PRIZE

村山由佳 2025年 文藝春秋

パラドックス

ベストセラーを多く生み出したのに、何度も候補にあがりながら直木賞がとれない作家天羽(あもう)カインが執念を燃やして受賞しようとする話です. 作品の中に主人公の書いた作品があり, 「テセウスの船」 というパラドックスを紹介しています.

「テセウスの船」と呼ばれる有名な思考実験がある。
 古代ギリシャの英雄テセウスがクレタ島から帰還した時、船には三十本の櫂があった。誉れ高き船は、後の世まで長く保存されることとなった。しかし木材は朽ちる。人々は櫂を一本また一本と新しいものへ取り換えてゆき、傷んだ船体を補修していった。
 そしてここに哲学者らの議論が巻き起こる。ある者は「もはやこの船は元の船とは別ものだ」 と言い、またある者は「いいや、ずっと同じ船である」と主張したのだ。
 最終的にすべての部品が置き換えられたとして、その船は今も同じ船だと言えるのか。あるいは取り換えた古い部品を集めてもうひとつの船を組み立てた場合、いったいどちらを「テセウスの船」と呼ぶべきなのか。要するに、同一性の問題をめぐるパラドックスだ。

パラドックスは,ギリシャ語が語源で,逆理とか逆説とか訳され,「正しいようで間違ったこと」,「間違いのようで正しいこと」, 「正しいか間違いか判断しにくいこと」などを意味する概念です.

「テセウスの船」  は哲学の分野で有名だそうですが,このように元の形は変わらずに構成要素が総入れ替えになったものは他にもありますね.例えば,柄を変えたあとに刃も変えた短刀とか,メンバーが総入れ替えになったグループとか.これは 「正しいか間違いか判断しにくい」 パラドックスといえそうです.

パラドックスという概念は哲学だけでなく,数学や他の分野でも多数登場しています.数学で有名なものでは 「アキレスと亀」 という話があります.足の速いアキレスが前を行く亀を追い越そうと歩いている.ある時刻に亀がいた地点までアキレスが行くと,亀はそこからいくらか前に進んでいる.その後アキレスがその地点に着いたとき,亀はさらにいくらか前へ進んでいる.これを何回繰り返してもいつまでたってもアキレスは亀を追い越せないという理論です.実際はすぐに追い越せますから,「正しいようで間違ったこと」を表すパラドックスになります.

Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE より

実際に追いつく地点を計算してみましょう.仮にアキレスの速度が秒速1mで亀の2倍だとします.上図でOA=1mとすると,AB=$\frac{1}{2}$m, BC=$\frac{1}{4}$m, …となり,無限回加えると初項1,公比$\frac{1}{2}$の無限等比級数の和になるので,$$1+\frac{1}{2}+\frac{1}{4}+\cdots =\frac{1}{1-\frac{1}{2}}=2$$すなわち,Oから出発して2秒後に2m先で追い越します.無限回どころかあっという間ですよね.

では上の理論のどこがおかしいのでしょう.それは,有限の時間内に起こることを無限に時間がかかると主張しているからです .

清水義範の短編集 「アキレスと亀」 (1989年 廣済堂) に,この話にまつわる男女の会話が描かれていて面白かったので読んでみてください.

[参考]

[世界のパラドックス一覧]  哲学・数学・物理・経済まで有名パラドックスを完全解説
https://senkohome.com/paradox-list/#google_vignette

オリジナルメンバー不在のバンドや音楽グループの一覧
https://ichiranya.com/music/030-original-member-absent-band.html